Our Story in a Nutshell
15年前にこのアイディアを思い付きました。バックパックに対する自分の違和感と困っている郵便局の配達の人をみて、バックパックの中身の出し入れをもっと簡単に出来るのではと感じました。大学時代の専攻は工学でしたが、仕事は主にメディア関係で、バックパックデザインや発明の経験はほぼありませんでした。何年かの間、このバックパックのデザインのスケッチをしたり、うまく機能しない試作品を手作りしてみたりしましたが、結局うまくいかず後回しになり、物置に保管するという状態が続きました。しかし、どうしてもこのアイデアが頭から離れなかったのです!その後、2年間イギリスの大手音楽チェーン店、HMVの会計課長を務めたのち、何か新しいことに挑戦しようと思いました。何気なく海岸で過ごしていると、急にバックパックの新しい装置のアイディアを思い付きました。早速新しい試作品を作ったところ、実際に使用することが出来る状態のものが出来ました!この時点で選択肢が2つありました。1)経験はないけど、大きいチャンスを引き寄せ、新しい企画に挑戦するか、2)このアイディアと可能性を忘れて、普通の平凡な人生を送るか。1番を選び、リビングを作業場に改造、特許申請を行い、デザイナーをパートナーとして迎え、14回にも渡る試作品を作り続けました。
2014年 夏: 新たなステージ
CADで作られ3Dプリンターで出力された試作品パーツが、実用の場で機能することを目の当たりにした時、私たちは新たなステージに突入したことを実感しました。私たちの指示通りにデザインされた商品サンプルが工場から届きました。とても魅力的でスマートなバックパックでした。ロゴとウェブサイトも誕生しました。私たちは、革新的なバックパック「ウルフパック」を公開する時に近づいてきたのです。
2014年 6月: ストリートで
すばらしい提案が盛り込まれた第11号は非常に良い出来だと私たちは考えていました。しかしこのコンセプトと商品を本当にテストする唯一の方法は、ストリートを歩く人たちに商品を見てもらうことでした。私はロンドンのストリートに出て、人々に直接聞いてみました。忙しいロンドンの人たちに立ち止まってもらうのは、たやすいことではありません。しかしセント・ポール大聖堂の外で私はサインボードを持って立ち、人々からの積極的な反応を待ちました。良い反応ばかりで、熱狂的なものまでありました。価格については考えさせられる面もありましたが、この商品は、実際のストリートで人々からとても前向きに受け入れられたことが明白でした。私たちは正しい方向に進んでいたのです。
2014年 1月: 商品を生産
スタジオでの徹底的な改良と、テストの繰り返しが続きました。第7号フォーカスグループからの全フィードバックを活かして改良された第8号は、消費者テストを再実施するに値するレベルの試作品となりました。今回もフィードバックは良く、私たちは次なるステージ - 生産者を見つける - に進むべきだということが明らかになりました。ルークのバッグ製造経験は非常に貴重で、私たちは実力ある製造パートナー3社と顔合わせミーティングを行いました。私たちが最終的に選んだパートナーと強力なコラボレーションが始まり、本物の工場から本物のバックパックサンプル商品が作られる過程がスタートしました。
2013年 7月: 最初のテスト
さらにいくつかの試作品を作り、第7号をテストしてみることにしました。最初の消費者フォーカスグループが試作品を手にしました。彼らの熱心な反応から、私たちが革新的な方法で真のニーズに対処していたことが明白に分かりました。しかし私たちが描くビジョンに、ユーザーエクスペリエンスが沿うようになるためには、まだまだかなりの改善が必要であることも同時に明白となったのです。当初の予算とタイムテーブルは、あきれるほど楽観的であったことに私は気づきました。
2013年 5月: チーム作り
私は、受賞歴があるデザインスタジオ「Goodwin Hartshorn」のエドワードとリチャードと会いました。彼らもエンジニアでしたが、デザインの経歴があり、高級オーディオ商品の世界で、私の旧友のために働いてくれたことがありました。私たちはすぐに意気投合し、ロンドンのイーストエンドにある、クールでしたが壊れそうでもあったデザインスタジオで活動を始めました。バックパック製造の経験があるルークが加わり、さらにバッグデザインの経験があるジェームスも迎え、チームが出来上がってきたのです。
2013年 3月: 特許
私は試作品第5号で一連の特許を申請しました。あの一歩は大きなマイルストーンでした。テレビアニメ「チキチキマシン猛レース」に出てくる有名な教授のように、私は「特許出願中」となったのです。商品開発における私自身の工学分野での限界を感じたため、何名かの産業デザイナーと会ってみました。2つのデザインスタジオが、私のアイデアは過去に見たことがない類のもので、一人の発明家から出されたものとしては商業的に最も大きなアイデアだと言ってくれました。自分でも、私自身は何かとても大事なことに気がついているのだと実感するようになりました。
2013年 2月: 発見
私はこのアイデアが本当に永続性があるかどうかを見極めるため、真剣なリサーチを開始しました。これまでに私の試作品のようなバックパックを誰かが発明した事実があるかどうかを必死に調べたのです。驚いたことに、そのような事例はありませんでした。私は試作品をさらに改良すべく、一生懸命に作業をしました。作業場は、我が家のリビングルームでした。庭もガレージもなかったので、リビングのカーペットの上に工具と素材を広げての毎日です。自分も含め家族がそれらを踏んでケガしないよう祈っていました。試作品第4号はやや後退したような出来でしたが、第5号では目覚しい前進ができました。ずっと昔の話ではあるものの、私がケンブリッジ大学の工学部で取得した学位が、ついに役立つ時が来たのです。大学での知識と経験のおかげで、私は工学的な問題点を見抜くことができ、試作品を作り上げることができました。いよいよ物事が動き出したのです。
2012年 12月: 転換期
休暇から戻った私は、モレスキン手帳に書いた新デザインに基づいた試作品第3号を作るため、地元のスーパーマーケットで 2、3個のバックパックを買いました。すると何と!第3号は上手く機能したのです!私はためらわずにそれを義理の母に見せると、彼女は特許を取るべきだと助言してくれました。これからどうすべきだろう?この出来事の意味は何なのだろう?私は考えました。優秀な弁理士に相談してみると、彼は、電話で話を聞いた時に想像した内容より遥かに素晴らしいものだ(風変わりな人物からの電話がよくかかってきていたのでしょう)と褒めてくれ、特許を取るべきだと薦めてくれました。まぁそう薦めてくれるに決まっていますが(笑)。
2012年 秋: きっかけ
その後、HMVのグループ財務ディレクターとして2年間、充実かつ忙しい日々を送った私は、業務を後継者に託し、新しいことをスタートさせようと決意しました。家族との休暇の最中、私が手にした一冊のキャリア関連の啓蒙本に、次に何をするかを見つけるブレインストーミングの方法が紹介されていました。ビーチにいる私の頭に、長い間忘れられたままだったバックパックのアイデアが戻ってきました。モレスキン手帳を開き、初心に戻って、私はまたバッグの落書きを再開したのです。二つの試作品のことは忘れ、全く新しいアプローチを思いつきました。見た目も全く違うアプローチで、「これは上手く機能するかもしれない!」と思ったのです。
2007年 秋:: 二度目の挑戦
驚くような、かつ息をつく暇もない5年間をAOLで過ごした私は、AOLを辞める時が来たと思うようになり、次に何をするか考えていました。私はまた興味にかられ、周囲の人に、あのバックパックのアイデアに再挑戦すると公言しました。試作品第1号をロフトの箱から取り出し、さらに素材を買い集めました。ところが第2号は、第1号よりもさらに悪い出来となってしまい、揃ってロフトの箱の中に眠ることになりました。「バックパックのアイデアはどうなったの?」と誰からも聞かれないことを祈ったほどです。
2002年 夏: 最初の試作品
私はBBCを退職し、当時のインターネット巨大企業のAOLに転職しました。新しい職場で働き始める前に私は、温めてきたデザインのメモを、二年以内に試作品の形に仕上げることを目標に掲げました。わくわくした気分で素材を買い集め、できる限りを尽くして取り組みましたが、最初の試作品は全く上手く機能せず、改善策も思いつくことができませんでした。試作品第1号は、ロフト内の箱に放り込まれました。
2000年: 最初の落書きメモ
私はBBCで恵まれた仕事に就いていました。長いミーティングは、メモに落書きするのにもってこいの環境だったのです。やがて私の大好きな落書きの内容は、荷物を背負ったままその荷物にアクセスできる方法に絞られてきました。ミーティングが進行すると同時に、私の落書きメモもどんどん進化していったのです。
1999年: 閃きの瞬間
私は地元の郵便配達屋さんが、ずた袋のようなナイロンバッグとロープを用いて、苦労しながら郵便物を運んでいる光景に出会いました。立ち止まってはバッグを地面に置いて郵便物を取り出す作業を、ずっと繰り返していたのです。その姿は、この上なく非効率的に見えました。「人間工学的に腰の負担をもっと軽減しながらも、スムーズにバッグ内の郵便物を出し入れできる方法が、きっとあるはずだ」と思えたのです。